【キャラット10月号】中二病×女子高生って結構しっくりくる組み合わせなんだなって思いました、そういう感想【七×七不思議】
21年10月号『まんがタイムきららキャラット』
感想を書くのにこれまで時間がかかったのはずーっと「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」と「モンスターハンターライズ」を遊んでいたからです。
NEW GAME!
思い返せば私が初めて買ったキャラットの表紙は「NEW GAME!」でした。
この中のどこかにあるはずなのですが。
まあ表紙率高めの作品ですからそこまで運命感じませんが。
とにかく最終話を読んで驚いたのが連載8年にして単行本が13冊も出ているということ。
きららしか読んでいないとこの辺分かりにくいですが、月刊誌だと1号に2話、3話と複数話載せることは珍しくないようで、新テニスの王子様なんかは結構な頻度で複数話掲載しているらしいです。
まあ元が週刊誌で連載していましたし、その辺はね。
話は戻りますが「NEW GAME!」は連続して2話掲載していたこともありました。
単行本5巻は全編描きおろしで周囲の人に心配を掛けていたとか、掛けていないとか。
速描きなんですね。
今思えば月刊誌で連載しているタイトルが出した単行本が丸々描きおろしって異常すぎないか?
で、最終話を読んだ感想としてもう素直に、ありのままに書かせていただくと、
え、これで終わりなの?
って感じでした。
あまりにもあっさり。
なんだったら打ち切り策の方が華々しく終わっている感すらあった。
でも内容を見ればまさに”歴史は繰り返す”と言った感じで読後の感じは非常に良かったですね。
間違いなくいい最終回でした。
この辺は逆に長期連載していたからこその後味でしょう。
やっぱりpecoの編(というのか知らんけど)を描いている時にはこのエンディングが作者の構想にあったのでしょうか。
ちなみに本棚を見たら私「NEW GAME!」の単行本10巻までしか持っていなかったです。
最近単行本全然買えていませんから最終巻に合わせて欠損分は買ってこようかと思います。
まちカドまぞく
これはまた別に書きます。
こちらからは以上です。
で終わらせるのも何なのでこれまで書いてきた小ネタ的考察をご紹介。
では改めて。
こちらからは以上です。
七×七不思議
学校の七不思議って往々にして七個以上あったり七個も無かったりするんですよね。
3話連続ゲストの1話目ということで。
これまで数多くのゲスト作を読んできましたがここまで純粋に、単純に連載してほしいなぁと思ったゲスト作は久しぶりです。
なんかね、シンプルに面白かったです。
内容的には好奇心旺盛な”美徳 白子”が自称霊能者の”七つの罪の支配者シンズルーラーナナ(小堤 七)”と一緒に学校の七不思議の真相を解明するという、仮に連載化したとしても長期連載は望めそうにない内容となっております。
この漫画でシンプルに面白いなと思ったのは多分結構ナチュラルに幽霊が出てくるところだと思うんです。
この話ではトイレの花子さんが出てくるのですが、ガッツリトイレ外まで追ってきていますし、
幽霊にしては存在感が強すぎるので、最初は幽霊なんかじゃなくクラスのいじめられっ子が幽霊に勘違いされているオチかと思いきやこの子ガッツリ死んでやんの。
最終的には満足して成仏していきましたが、その内容も少しほっこりするような感じでした。
それと中二病を拗らせら七の振る舞いと合わせて2つの話が同時に進行している感があって、それはまるでいつしかのNON STYLEの漫才のような。
あとこれは完全偏見ですが、中二病と女子高生のかけ合わせは絵的に強いんだなと思いました。
それは過去に「中二病でも恋がしたい!」が証明していますからね。
同じきららなら「ばっどがーる」とかもね。
あ、あっちは不良児か。
最近その設定飛んでるような気もしますけど。
【フォワード10月号】モラルハザード、漫画の端的な感想、そしてキャラクターのトンだ女の子はカワイイんだなって話【先輩を追い出す方法についての研究】
21年10月号『まんがタイムきららフォワード』
また別の機会に書きますがキャラットでは「NEW GAME!」が終わり、フォワードでははっきりと「がっこうぐらし!」が終わりましたよ。
歴史の転換期にいるような気がしています。
先輩、ちょっといいですか?
この漫画の主題というか、作者が読者に読ませたいのは世間知らずのお嬢様が人には聞きづらいであろうことを先輩に聞く、その問答だと思うんです。
でも私は最近、そんな問答よりもモラルが崩壊していく1年C組の方が気になって仕方がありません。
共学の教室でそんな話堂々としてんじゃねぇよ。
縛りプレイとかもやってんじゃないのかな。
これからのモラルハザードに期待。
さよなら幽霊ちゃん
めぐの部屋に飾られたポスター。
見てたら「日常」に出てくるサメポスターが頭をちらほら。
ゆるめに描かれているキャラは確かにどこかあらゐけいいちっぽさがあるような気がしないでもないです。
今月号ではゆうの過去に触れてきましたがそれはひとまず置き。
きららに載るゲスト作って基本的に心底つまんねぇなって思うような漫画って無いんですけれど極々たまぁ~にそういう漫画が載ることがあるんです。
「JKだって落語がしたいっ!」だとか「ライフハック」だとか「きゃんでぃ!」だとか。
特に「きゃんでぃ!」なんて殺意を覚えるほどに面白い要素が無かったわけで、そういう漫画の感想を書きたくなるときがあるのです。
この怒りを形にしておきたいと。
そんな時、
こんな感じでざっくりまとめられたらいいんですけどね。
性格上「面白くない」のならなにがどう「面白くない」のかを文字にしたいのです。
そうなるとこうなるんですね。
豊かな語彙力が欲しいところです。
それはそうと「さよなら幽霊ちゃん」のこういうシンプルで破壊力のあるセリフっていいですよね。
先輩を追い出す方法についての研究
生物部部室を神聖な部室とする生き物大好き1年”鈴木”が
生物部をキノコ部に様変わりさせたキノコ先輩”べにこ”
を部室から追い出そうと奮闘するこの漫画。
多分ラブコメかと思われるのですが読んでてちょっと腑に落ちない部分があったのでその部分を書きながら整理していこうかと。
気になった部分のあらすじを書いておきますと、
食べた人が恋に落ちると噂の”コイガサタケ”を実食するという実験をやることとなった鈴木とべにこ。
ただの人体実験に鈴木は拒否し帰宅しようとするもべにこにコイガサダケを口にねじ込まれ不本意ながらキノコを食べてしまう。
この時、過去に「鈴木に惚れられたらキモくね?」と同じクラスの女子に噂されていたことを思い出し、自分がべにこ惚れたフリをすれば部室を出ていくのではと閃く自虐鈴木。
引くことを前提に全力で告白した鈴木に対しまんざらでもない様子のべにこ。
ここで実は鈴木が喰わされたキノコはただの変な模様入りのキノコで特殊な効果など無いことが判明。
「それでも私のこと好きになっちゃったの・・・?」と問い詰められた鈴木は部室から逃走。
その後にべにこが放った一言。
「実験失敗・・・しちゃったよ・・・」
この一言がよく分からない。
まずべにこがやりたかった実験は一体何なのかというところから詰めていかなければなりません。
行動としては”鈴木にコイガサタケ”食べさせること”です。
本当にコイガサタケなるキノコに人を惚れさせる効果があるのだとすればこのキノコを鈴木に食べさせようとした時点で考えられる、べにこが欲していた実験結果は、
- 本当にコイガサタケに噂されるような効果があるのかを見たかった
- 鈴木に惚れて欲しかった
のどちらかになるかと思います。
で、実験の途中で鈴木が食べたキノコがただのカラフルなキノコであることが判明しました。
この時点で実験目的が1でも2でもそれは失敗となります。
でもこの一言を残した時のべにこの表情から察するに多分実験の主の目的は2ですよね。
そもそも好意の無い相手にそんな媚薬みたいなキノコ食わせないでしょう。
だとしたら鈴木から告白された時点で成功と言っていいのでは?と思うのです。
鈴木はべにこに対し”カワイイ””ホレマシタ””ダイスキ”とは言いましたが”キライダ”とは言っていませんから。
なんかね、書いてて思ったのが多分これは私の男女間の恋愛の興味の無さがそのまま表れているような気がしました。
男女間の恋愛に興味はありませんが、それでもこの漫画を読んでて結構ドキドキしていたのでこの漫画は良い漫画なんだと思います。
分かりやすくべにこがかわいい子だからですかね。
ちなみに。
べにこを教室から追い出したければ人前でべにこを押し倒せばいいと思います。
その場合べにこが部室から追い出せず、鈴木が学校から追い出される可能性もありますが。
【MAX10月号】驚きと驚き、そして驚きの10月号【感想】
21年10月号『まんがタイムきららMAX』
今月号のMAXには驚きと驚きと驚きが詰まっていました。
命短し善せよ乙女
まず最初の驚き。
次号最終話なんだって?
MAXの中ではトップクラスに勢いのある作品だと思っていましたからこれには驚きです。
内容的にも次号が最終話としてみれば急に風呂敷をたたみ始めたかのような。
だってデモニカの上司であり魔界を統べる王サタンという大物新キャラが出てきてかつたいした出番も無かったのに次号が最終話なんですよ?
おちゃらけてる神様もこの作品の中で見たことないような神妙な面見せやがって。
最終話の内容はおそらく1話から明確にされてこなかった「どうして神様が乙女を生き返らせたのか」という点にスポットが明かされるのでしょう。
この辺はサタンも気にしているようですし、何だったら今月号のサタンはこれを読者の頭に植え付ける為だけに登場したと言っても過言ではないのでは?
今まで善行をする為に乙女が振ってきたハンマーが今月号での善行を経て豪華なハンマーに成り上りました。
こうなる事を神様は待ち望んでいたようなので最終話になって途端に神様が悪者になったり自己中心的になったりするのかなぁとか妄想しています。
あと最終的に乙女は死ぬのかどうか。
この辺に注目して最終話を待とうと思います。
自分語りになってしまいますが、これまでいくつかきららで打ち切りになった作品を読んできましたがそれはどれも「まあそうだろうな」と思えるような作品でした。
でも「命短し善せよ乙女」は本当に意外でした。
2巻締めなら多分打ち切りですよね。
内容的に膨らませにく漫画でもないだろうに・・・。
リリカお嬢様に振り回される!
次の驚き。
この漫画は連載化が決定したとのこと。
1mrnoname.hatenablog.jp
ゲスト1話目が載った時に狭い世界で完結し進んでいく物語が面白すぎて逆に連載化せず3話で終わってくれたら良いのにみたいな趣旨の記事を書いています。
じゃあ連載化してガッカリしたかと言えばもちろんそんなことはなく。
面白ければ何だって良いんですよ、暴論ですけれど。
で、驚きは連載化したことではなく3話目の中身の方。
内容的にはリリカお嬢様のいうことを聞かない犬シャルロッテの調教をするお話。
計3話のゲスト掲載の場合3話目に新しい人物を出して話を転がすことがほとんどですがほとんどです。
ですがこの漫画の場合新しい人物は出て来ず、狭い世界観や登場人物のやりとりは変わらず結構話の広げようがあるんだってことに驚かされました。
この辺私の想像力の乏しさの表れと言いますか。
この1コマを見て大きな可能性を感じました(誰目線?)。
このペースで連載が続けばきっと相当読み応えのある漫画になるような気がしています。
大変楽しみです。
お姉様のVな事情
前回の感想を書いた時タイトルを思いっきり間違えていました。
日本語すらまともに読めないのかと。
お姉様をお嬢様と読んだ自分にも驚きですが、2話目を読んでとにかく驚いたのがお姉様=ミユキの私生活は相当乱れているのに良いように世間体を保てているということ。
人前でキリっと立ち振る舞うだけなら誰でもできることでしょう。
でも例えばパチスロに飛び込んだり、
おそらく最寄りのコンビニにアイちゅんカードを頻繁に買いに行ったり、
ワンカップを持ち歩いたり。
普段の素行でも素がバレそうなことを頻繁にやっているだろうにそれでも世間体が崩れないのは、それでも表の顔のインパクトが強いからか、そもそも裏の顔を知られない世界で生きているのか。
私の先入観がおかしいだけかもしれませんけれど絵にかいたような美少女がパチスロに通っているとしたら店員とか同じ店に通う常連の間で噂が立ちそうなモンですけどね。
パチスロに綺麗な人がいるイメージ無いし(コレが先入観)。
こちらの漫画も連載化だそうです。
入れ替わり立ち代わりを感じる今日この頃。
【きらら9月号】まるで女人化した自分を見たかのような【ダブルぼっち】
21年9月号『まんがタイムきらら』
昔も感想を書きましたが改めて読み直すとコレ面白いなって漫画があったので改めて感想を書いていこうかと。
ダブルぼっち
2話連続読切ゲストの1話目です。
親が転勤族で友達ができなかった「相川こゆず」と孤独を愛する「吉田美月」のふたりぼっちが繰り広げるコメディ漫画です。
とにかく第一印象、いや読み返しての印象だから第二印象でしょうか。
思った事は、
吉田美月、私じゃん
容姿はともかく。
でも黒髪ロング好きだし(そんなことはどうでもいい)。
彼女はいわゆる「孤独の極意」を習得しているようで、それを孤独に苦しむ・恥ずかしがる相川に伝授しようとします。
言ったらなんですけれど私も修めていますからね孤独の極意。
例えば狭い部屋に自分含めて4人いて、その内の自分以外の3人が意気投合して会話が弾み、完全に私が孤立したとしても精神的にゆとりありまくりですから。
あれ、これ自慢できることじゃない?
基本的に表情に感情を出さないくせにカップ麺の残り汁に塩むすびをを入れてぐちゃぐちゃにかき混ぜている時の表情。
自分の好きな物に関しては積極的に自分を表す様が好きです。
ぼっち孤独を愛する人って自分の世界にのめり込みやすい性格をしていますからね。
ちなみにひとり神経衰弱はガチ目に神経をすり減らす一人遊びです。
経験者は語る。
散々吉田について語ってきましたが、この漫画の主人公はどう見ても孤独を恐れる相川の方なんですよ。
このかわいい子ね。
学校でぼっち孤独になりやすい人は大別すれば3種類いて、
- 孤独を愛する人
- 孤独を強いられる人
- 孤独に愛される人
に分けられます。
1つ目は吉田や私のようなタイプ。
2つ目は相川のように自身の取り巻く環境が原因で人付き合いが上手くできないタイプ。
3つ目はその人個人の性格上誰かとなれ合うことができないタイプ。
正味2つ目以外は救いようがないタイプの人種だと思うので相川にはまだ希望があるはず。
親が転勤族で友達ができにくいというのは他の漫画になりますが「スロウスタート」にも出ていますよね。
名前忘れましたが。
あの人は転校先の学校でのらりくらり距離を縮めず遠ざけず、適当な距離感を保って学校生活を送っていました。
初めてその人の世渡り術を見た時も思いましたが、この漫画で相川を見たらやっぱりなおの事あの人の地力の高さを思い知りました。
友達を作ること自体が簡単にできるからこそそういう人付き合いができるのでしょう。
間違いなく私にはできません。
だから多分吉田にもできない。
読切り2話掲載ということで、来月号に2話目が載ります。
多分最終話です。
3話目は無さそう。
この漫画を通してぼっち孤独マスターのメンタリズムを学んでほしいところですね。
とかいって来月号で吉田が脱孤独していたら笑うけど。
呪うけど。
【まどマギ】テレビ版と劇場版とじゃ巴マミの○○に歴然の差が・・・?【1話】
細かいところが違くて面白かったまどマギ1話
ただいまテレビアニメ「マギアレコード」の2期が放送されていますがそういうことは一切関係なく。
今度久しぶりにゆっくり動画でも作ろうかと思い、その過程でどうしてもまどマギを見ておく必要があったのでテレビ版と劇場版との両方を観ていました。
というか今も観ています。
なんで両方観ているのかというと、両者の違いの1つに構図もありまして、私の欲しいシーンがテレビ版の方が見やすかったり、あるいは劇場版の方が見やすかったりするんじゃないかなぁと思って両方を一気に観ていました。
平たく言えば綺麗なスクショが撮りたかっただけなのですが、改めてちゃんと比べてみると結構細かい場所が変わっていたりするんですよね。
尺の都合上どうしてもみたいな変わり方ではなくどうしてそんなところを変えたの?みたいな展開上変える必要を全く感じない部分に変更点なり作画ミスなりがあったのでちょっとまとめてみたら面白いのかなぁと思いこの記事は書き始めた次第です。
正味作品も10年前のものだしネット上で散々こすられてきた内容かもだけどそんなことは気にしない。
構図は全体的に引きめ
テレビ画面と劇場のシアターとではそもそも画面の大きさが違う(画面比ではなく大きさ)ので、その広さを活かす為か、全体的に引きの画が多い印象がありました。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
また背景の描き込みも力が入っており(流石劇場版、予算もけた違いか)シーンによってはおどろおどろしさが増しています。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
他にも画が広くなった影響か、
⇦テレビ版 ⇨劇場版
エスカレーターが増設されていたり、
⇦テレビ版 ⇨劇場版
CDショップに至っては天井が低くなり、店内のポスターも増え、案内も丁寧になっています。
ちなみにこのCDショップでのシーン。
劇場版ではカットされていますが、テレビ版だと裏側でほむらがキュゥべえを狩っています。
なのでキュゥべえの初登場シーンも微妙にずれているということですね。
いやテレビ版のキュゥべえの初登場シーンはもっと前でした。
これも劇場版ではカットされていますが、ほむらの成績優秀・運動神経抜群なところを表すシーンで出ていましたね。
細かな家具の配置
なんでそこを変えたの?と素直に思った最初のシーンがこちら。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
母親の順子をたたき起こすシーンですが、この部屋の家具のレイアウトが結構変わっています。
家具というか椅子ですが。
どちらにしてもどうして順子はここまで多種多様な椅子を部屋に置いてあるのでしょうか。
椅子はあるくせして机はないからマジでただのインテリアなのでしょうけれどだとしたら余計に謎が増すシーンだと思いました。
また、細かい変更点として床や壁の模様が変わっていたりもします。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
劇場版ってテレビ版以上に画面の明暗がハッキリしているので見せ方の都合上変えざるを得なかったのか、その時の気分か。
なんにしても背景の模様は変わっても得体のしれない丸い球上の化粧品は形も色もその配置も変わっていませんから、
⇦テレビ版 ⇨劇場版
変えているところはちゃんと理由があって変えているであろうことはよく分かります。
ほむらの第一印象が悪くなっているような気が?
これは意図して変えたというより受取り手の解釈による問題なのですが。
テレビ版だとオープニング前にほむらとワルプルギスの夜の戦闘シーンがあり、かつそのシーンをまどかは見ていますから、教室で初めて対面した時にほむらがまどかにガンを飛ばしたとしても知る由も無い人間関係がそこにはあるんだろうとなんとなく視聴者は想像できるわけです。
でも劇場版では冒頭のワルプルギスの夜との戦闘シーンが丸々抜けており、かつほむらの声優の斎藤千和さんの演技力の向上もあってか、私の目にはかなり愛想悪く見えました。
ま、これはあくまでも個人の見方の問題ということで。
縮小したソウルジェム
魔法少女の本体とも言うべきソウルジェムですが、初登場時は同時に巴マミの初登場でもあります。
つまりマミがソウルジェムをもって登場するのですが、明らかにサイズ感が違います。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
後々出てくるまどかがさやかのソウルジェムを放り投げるシーン。
このシーンでのソウルジェムはまどかの両手にすっぽり収まるサイズ感になっているので初登場時のこの大きさは新しく、そして重要なアイテムを強調するためにわざと大きく描いたのかもしれません。
ちなみにこの後にあるマミの変身バンクで出てくるソウルジェムもビックサイズだったので作画崩壊とか、そういうのではないことは確かだと思います。
ちなみにその変身バンクですが微妙に映画版の方が長く、劇場版だとお腹を巻いているコルセットがガシャンとハマるシーンがあったりします。
初めて気付いた作画ミス
キュゥべえの声を聞いてCDショップを離れるまどかを見るさやか。
このシーンでのさやかの衣装が微妙に変わっています。
靴下です。
⇦テレビ版 ⇨劇場版
もしかしたらテレビ版だと最初からずっとニーハイソックス履いてたかなと思ったらそうでもなかったのでこれがいわゆる作画ミスってヤツだと思います。
絶対これ既出だろうなぁ。
でも初めて自分で気付いた作画ミスなのでご報告。
本当は本編を通してザーッと変わっている部分を上げていきたかったのですが1話だけでも結構気になる点が多かったので備忘録的に、あと作品を観込む意味合いも込めて毎話こんな感じの記事を書いていこうかと。
観れば観るほど面白くなるアニメって最高ですね。
とりあえずマギレコ2期を観ろって話ですが。
それ以前に1期を最後まで記憶がありませんが?