きらら探求軍〜細々と息をするオタクの足跡〜

主にまんがタイムきららコミック、ウマ娘に関することをぼそっと書いています。ちょこちょこyoutubeにも投稿していたり。

【きらら5月号】夢を届けたいのなら夢を見て語って欲しい【ゆらめきラグーン】

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やっぱり泣いてる。

 

 

 

21年5月号『まんがタイムきらら

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明後日はMAXの発売日だ。

なるだけ発売日直後に買っておかないとまた2冊買っちゃいそうで・・・。

 

ゆらめきラグーン

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5月号最後に触れておきたい短期連載作「ゆらめきラグーン」

ラグーンとは浅瀬の海を指す言葉の様です。

 

聖母マリアは処女にしてキリストを産んだとされていますが、男女間のまぐわいなしに子供は産まれません。

それでも処女で子供を産んだからこそマリアは聖母と称され、神の子としてキリストは信仰され、キリスト教は布教されていきました。

前提としてキリストは奇跡で産まれた人だからこそキリスト教という宗教は成立するので、ここにキリストの出自を道理に沿って説明しようものなら全世界中のキリスト教信者による謀反が起こりかねません。

宗教にとって科学というのはまさに目の上のたん瘤であり、その科学を研究する科学者は断罪すべき対象です。

なので科学者たちは協会に対し、キリストへの信仰は絶対に忘れないし協会にとって不都合なことはなにもしないから研究を続けさせてもらうように進言したようです。

協会の広める神の奇跡を妄信する学問と、事象の道理を探る学問。

これが学問が文系と理系に枝分かれした要因となります。

つまり理系と文系とには根本的に差は無いということになります。

一般的なイメージでは文系と理系とは相反する学問のように考える人も多いでしょうからこういう話を深掘りすると結構面白い話が知れるかもしれませんよ。

 

一見相反するもの、ということで言えば科学と魔法にも似たことが言えます。

まだ学問が今のように事細かに分けられていなかった時代。

哲学者であるアリストテレスは、鉛のような安価で手に入る価値の無い物を金のような高価で価値のある物に作り変えようと試みます。

所謂錬金術の走りとなる思想です。

錬金術は台所から生まれた、とも言われますね。

そもそも錬金術とは鉛を金に変えることを目的にしたわけではなく、それはあくまでも結果で、本当の目的は価値の低い物を価値のある物に作り替えることにあります。

それなら料理も立派な錬金術と言えるのかもしれません。

 

物を異なる物に作り替えようと思ったら、まずベースとなる物の構造をよく知り、分解し、目的の物に再構築する必要があります。

とある漫画になぞらえて言えば「理解」「分解」「再構築」です。

この「物の構造を知る」という部分が後に「物理学」となり、物を分解し再構築することで他の物に「化かせることを学ぶ学問」が「化学」という学問になったと言われているそうです。

というか自分はそう学びました

 

ご存じかと思いますが、科学は西洋で発達した学問です。

同時に多くの宗教のメッカもまた、西洋に集中しています。

なので昔の科学は言ってしまったら短絡的で、人の頭ではどうしても理解できない現象があれば、それは「神の奇跡」で済ませてしまうこともあったそうです。

 

それなら魔法を夢物語と思ったのなら、科学を学び始めようと思うのはある意味当然の成り行きなのかもしれません。

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前置き長ぇよ

今のところ名前が分かっていない、おそらく主人公と思える女の子は内気な絵本好きの女の子で、かつて自分が描いた絵本に調製した試薬をぶちまけることで、その絵本の中に描かれていた人魚エリーが人の体をもって現れるところから話は始まります。

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この名称不明の女の子は魔法に憧れ、絵本やおとぎ話に憧れていて、それらが夢物語だと知ったから科学とかいう地獄の道を進み始めたわけでして。

そんな彼女が自分で描いた絵本の登場人物と実際に触れあって、かつて抱いていた魔法や絵本に対する熱量を僅かでも取り戻すことが今後の話の展開の軸になるのかな、なんて思っています。

今のところ絵本の登場人物が出てくるという非科学的現象に対して非科学的だと言っています。

ほとんど小泉節に近しいことを言っていますが、私個人の意見を言うならまんがタイムきららという現実的な部分もありながら、だけどどこか決定的に現実的とは言えない漫画が多く集まる漫画雑誌で科学だの非現実的だの、そういう野暮ったい話ってあまり読みたくないんですよね。

どこかきららに夢を見ているというか。

だからこそ上に書いた通りの展開を予想している、というより切望しているのかもしれません。

「夢」ってきららにとって特に意味のある言葉であることは、きらら読者であれば十分ご存じかと思います。

読者に「希望」や「ときめき」、「勇気」そして「夢」を届ける雑誌がまんがタイムきららであり、そんな漫画の登場人物には夢を見ていて欲しいという気持ちの表れでしょう。

この漫画を読んでいて無性に胸がざわつくのはこれが原因なのかも。

 

最後に読んでいて少し気になったのがこの1コマ。

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 少し顔の表情筋が弛緩する薬、つまり筋弛緩薬です。

普通に市販されている薬ですし、普通に人を殺せる薬です。

そんな薬を自作しようとする女の子って一体・・・。