【MAX6月号】続けて読むと読みやすさが加速するタイプの作家さん?【ちなはきょうも幸福です。】
ウマ娘ハマるとヤバいゲームだった。
21年6月号『まんがタイムきららMAX』
今思うと「ぼっち・ざ・ろっく!」の影響力凄すぎじゃね?
きらら200号の表紙は4作品くらい出てたのに。
ちなはきょうも幸福です。
きららは一度ゲストとして掲載されるとその後のゲスト再掲載率は高めですし、そこから連載に繋げた作家さんもいます。
同じMAXならつみきつき先生はその良い例となるでしょう。
ここはぜひ日芽けい先生にも同じポジを狙いにいって欲しいところ。
今作の感想を書かせていただく前にまず1年前に同じく日芽けい先生が描かれた漫画「裏表バケ⇔ション」についてあらすじをなぞらえながら改めて感想の方を1つ。
他人に自分を偽り生きることを「化ける」と呼ぶ宇良きゆりが化け狐に弟子入りされる漫画。
表向きには完璧になんでもこなせる完璧少女でありながら家の中ではなにもかもに疲れた不安定少女と、確かに家の内と外で人がガラッと変わる人はいますが(自分も含め)、それをさらに濃縮したような性格。
そんな性格を抽出したような化け狐という登場人物。
平たく言えば主人公のキャラクターと、そのキャラクター濃縮したような別のキャラクターの計2人が主なキャラクターとして出てきているということです。
私はきらら作家のきらら以外での活動は、その作家さんが有名だとか無名だとかそんなのは基本関係なく追っていないので、再登場したきらら作家のイメージは、その前に載った作品のイメージに強く引っ張られてしまいます。
「化け人間」と「化け狐」が出てくるこの「裏表バケ⇔ション」のイメージをもった状態で「ちなはきょうも幸福です。」を読むわけです。
となると最初は不運人間と福の神という相反するキャラクターにビックリするんですよね。
真逆じゃんって。
でもタイトルにも名を連ねる主人公「染野ちな」の不運っぷりや、その不運に対するポジティブっぷり、そのポジティブっぷりに反する死んだような目に惹かれながら読み進めると、最初に福の神と自称していた神様がじつは貧乏神であることが判明。
やっぱり「裏表バケ⇔ション」と似た感じかって。
まあ不運と貧乏とを同列に語るのはおかしいような気もしますけれど、まあやっぱり似た者通しが集っているわけで。
これ読んで思ったのが短期連載という短いスパンで自分が面白いと思える漫画を描こうと思ったらやっぱり似通ったような内容の漫画になってしまうのかなっていうこと。
あるいは作家さんの描き癖か、引き出しの無さか。
私的にはね、後者側の意見の方が有力なような気もするんですよねぇ・・・。
まあこの辺はきらら外での活動を追ってみないことにはなんとも言い難いところですが、例えば現在きららにて「しあわせ鳥見んぐ」を連載中のわらびもちきなこ先生。
この人が鳥見漫画を描く前に連載していた漫画「佐藤さんはPJK」には鳥成分は一切含まれていません。
完全に別ジャンルです。
で、描き癖にしろ引き出しが無いにしろ、こういう言ったら悪条件で同じニュアンスの漫画を描いているとするのなら、仮に連載化したとしても長続きしなさそうじゃねっていう懸念もあったりします。
だって武器が少ないってことでしょ?
そう思っちゃうのは必然だと思うのですけれど。
逆に良いように言えば、作品を跨いでもすんなり読み込める漫画を描いてくれる漫画家さんとも言えるわけです。
物は良いようですね。
なんにしても今作は短期連載でまだまだ先が続きますから今の段階で内容の良かれ悪かれともかく決めつけは良くないですし、シンプルにちなのキャラクターがものすごく好きなので連載化を切望します。
形容しがたいのだけれど、なんか日芽けい先生の絵って隙なんですよねぇ。
なのにきらら外の活動には一切興味ないという。