【キャラット6月号】「オモロとジュリエッタ」と細かいところからにじみ出る作者としての技量【読切・ゲスト感想】
メカニカルキーボードは赤軸が良きかと。
以下が目次です。
22年6月号『まんがタイムきららキャラット』
多分後述しますがついに終わってしまいましたね、「ブレンド・S」。
きらら展のメインビジュアル作がどんどん終わっていく・・・。
オモロとジュリエッタ
「面白い」という言葉は前後の文脈によって微妙に意味合いが変わって聞こえる言葉です。
というか英語だと以下の画像のように様々な翻訳の仕方があるわけで。
この点からもいかに日本語が情報伝達のツールとして大きな欠陥を抱えているのかがよく分かりますがそんことはどうでもよくて。
そういう日本語の良くも悪くも面倒なことを主軸にこの漫画を描こうとしていたのかな、というのは何となく分かるのですが、それ以上に読んでいてとにかく引っかかっていたところがあるのでそこを重点的に攻めます。
シンプルに気になった
さて、この漫画では「江東 寿理(えとう じゅり)」と「緒諸 無(おもろ ない)」の2人がメインとなる漫画のはずなのですが、特にこの緒諸 無(おもろ ない)という人物。
実際面白くもないことを日常的にやっているようです。
名は体を表すとはよく言ったものですが、それ以上に不思議に思うのです。
一体無の両親はなにを考えてこんな名前を付けたのでしょう。
漫画だとこういう、キラキラネームを超越したぶっ飛びネームが当たり前に登場します。
言ったら寿理(じゅり)だってなかなかなキラキラネームです。
もちろん漫画は基本創作物であり、フィクションであり、内容によっては「八神 月(やがみ らいと)」のように現実に決して存在しえないような名前を付けた方が良いこともあるでしょう。
しかしそれを加味して考えて、それでも無は無いと思うんですよね。
人の名前に漢字一文字で「無」はちょっと・・・。
作者の伊奈利先生に一度訊いてみたいです。
無の両親は一体なにを考えて自分の娘に「無」と名付けたのでしょうか、と。
フィクションは完全な無から新しい何かを想像することを求められます。
キャラクターの名前の付け方とか、行動の軸とか。
物語の背景とは全く異なる、そういう細かい要素もしっかり考えられないと仮に連載化したとしてもいつかボロが出るんじゃないのかな、と思うのです。
そしてそういう詰めの甘さに作者としての技量がにじみ出るのでは、とも。
鳥山明並みのアドリブ力があれば話は変わりますが。
第一印象ってやっぱり強い
もしも作者が今後の展開を考えに考え抜いて、その結果「無」という名前を付けたのだとしたら、今後それを示す展開が描かれることでしょう。
でももしそんなものはなくてただキャラの性質を名前で示しただけだとしたら・・・。
漫画として私は普通に面白そうだな、と思いました。
でもこういう詰めの甘さというか、せっかく面白そうな漫画を描いているのに手を抜いたなぁ、みたいな印象を読者にもたせるのは普通に良くない。
そういうところも併せて2話目に期待しましょ。
まとめ
「ブレンド・S」と「しずねちゃんは今日も眠れない」の連載が今月号で終了しました。
どちらも、特に「ブレンド・S」の方は自然とスーッと終わりましたね。
最近は最終回だと結構な確率でコマ枠をぶち破って終わっていくんですけども。
まあそういう大団円てきなノリよりかはこういう終わり方の方がきらら的にあっているような気はしますけどね。
空気系漫画の温床なんだし。
「ひだまりスケッチ」の最終回とかどんな感じなんでしょう。
こっちはコマ枠ぶち破りそう。