【徒然】今読切とかゲスト作を描いている漫画家は本当にまんがを「読んだ」ことがあるのだろうか【まんがを読むのには体力を使う】

「まんが」を「読む」ということについて思っていたことを書きます。

長くなりそうなら途中で前後編に分けるかも。

以下が目次です。

 

 

 

 

 

読切・ゲスト作を読んでいて思うこと

月刊誌「まんがタイムきらら」を買い始めてから数年経ちました。

今でこそ掲載されている読切だとかゲスト作だとかも読み込んで絶賛したり罵倒したりしております。

しかし買い始めた頃は流石にゲスト作や無名作までは読む気にならず。

アニメ化された作品を主に読んでいました。

それこそ「まちカドまぞく」すら読んでいませんでしたからね。

読んでいたのは「NEW GAME!」とか「がっこうぐらし!」とか。

ちょうど買い始めた頃は桃のニュー衣装が登場していた頃でした。

あのローラースケート付きのやつ。

で、話は戻りまして。

ゲスト作などを読むようになってから作者の有名・無名問わずさまざまな人が描いたまんがを読むようになりまして、それでふとこのようなことを思う時があるのです。

このまんが描いた人、まんが読んだことあんのかなぁ・・・?

 

まんがを忌避していてた読書家

私の出身中学には年に100冊以上読むとなんか賞状的ななにかをもらえるシステムみたいなものがあって、私はそれを1度もらったことがあります。

また高校時代も365日24時間、寝る時以外は自転車を漕ぐ時も風呂に入る時も読書をする読書人間でした。

ライトノベルにホラーノベルにミステリーノベル。

エンタメ性の高い本ばかり読んでいましたがそれでもまんがは1冊もまともに読んでいませんでした。

まんがを読むと頭がバカになる、とか思っていたのではなく。

まんがって読むのめんどくせぇなぁ

と思っていたからです。

今でこそ「萌え」の力に引っ張られてまんがを読むようになりましたが、正直いまだに漫画は読むのがめんどくさい読み物というイメージが強いです。

なんで読むのがめんどくさいのかなぁと考えれば、やはり要因は情報量の差でしょう。

指紋認証より顔認証の方が精度が高いのは論ずるまでもなく当たり前のことです。

指紋という2次元の情報よりも顔という3次元の方が情報量が多いからです。

 

まんがを読むのには体力を使う

本は文章だけ。

まんがにももちろん文章はあります。

状況説明だとかキャラのセリフだとかキャラの内情だとか。

セリフの吹き出しの配置とかも重要な意味がある場合もあります。

吹き出しの読む順がコマをみて上から右から左に読むのが一般的ですが上から下に向けて読むパターンもありますね。

そしてまんがにはもちろん絵も描いてあります。

しかもその絵がまさに情報の塊でもあるのです。

細かいところの描き込みだとか、キャラの表情だとか、身体的な情報だとか、そういった物が詰まっているのです。

「ワンピース」なんかが良い例ですよね、あんなのまともに読んでらんない

それを1つひとつ読み込むのがいまだに面倒なのです。

文章を読み、絵を見て状況を把握しながら読み進めていく。

これがまんがを「読む」ということだと思っています。

流し読みなんてできたモンじゃありません。

個人的には過去の読書量も相まってか、小説の方が流し読みがし易かったりするのですがその話は1度置き。

まんがを迅速に読めるのはホントに器用な人だけでしょう。

私はかなりの不器用人間なので、例えば4コマ漫画野単行本を1冊読むのに2時間弱かかってしまうのです。

これは体力を使う作業です。

だから読むのが面倒臭いのです。

ただそうやって面倒だなぁ、大変だなぁと思いながら読んでいたまんが。

その経験は今になって非常に活きているように感じます。

 

経験値は腐らないんだなぁ

自分にとってまんがというのはこうやって描くものだ、もしくはこうやって読ませるものだ、というイメージがこれまでの読書の中で養われてきたように感じます。

多少はその辺に対する理解がないとむしろ読切・ゲスト作を読んで絶賛も酷評もできないでしょう。

体力を削りながらまんがを読んできたからこそ、逆に読切・ゲスト作を読んでふと先に書いたことのように思うのです。

この作者、まんがをちゃんと「読んだ」ことがあるのだろうか、と。

 

普通に生活していて「あ、そうだ。まんがを描こう」と思い立つことはそうそういと思います。

誰かが描いた、有名なまんがだとか面白かったまんがに感化されてまんがは描くようになるのだと思います。

故に登場人物が読んでいたまんがの作者の作風が自身の作風に入ってしまうのでしょう。

最近だと「あぁこの人はあの漫画家に影響を受けて描くようになったのかな」とか、そういうのもなんとなくわかるような、わからないような。

こういうことは言うべきことではないのかもしれませんけども。

まともじゃないまんがを読んで漫画家を目指した人が描くまんがはやっぱりまともじゃないんでしょうね。

蛙の子は蛙とはよく言うことです。

「このまんがは面白いなぁ」と、そう思う感性。

面白いまんがを選んで読むことに、もちろん運命的な出会いみたいなものもあるのかもしれませんが、それを選ぶこと自体に読み手のセンスが問われることです。

やっぱり漫画家に向いている人、向いていない人ってのがいるんでしょうね。