【フォワード4月号】「Meタイトル」と漫画漫画の誉め方を知らない民【読切・ゲスト感想】
いつからかは分かりませんが、comic fuz横読み出来るようになっていました。
良き良き。
以下が目次です。
22年4月号『まんがタイムきららフォワード』
もう間もなく4月号のきららも出ますがそんなのお構いなしに先月発売のフォワード。
今回の記事を書く上で色々考えていたのですが、私かれこれ3年近く漫画の感想をこのブログで書き続けて来たのに漫画の誉め方を知らないということに気付きました。
頭どうなってんの?
Meタイトル
読んでいてなんとも不思議な気分になる漫画でした。
登場人物が特殊というわけではなく、設定や世界観が特殊というわけでもなく、なんか読んでいて不思議な感じ、落ち着きがない感じがしていました。
内容的には
主人公「春」が自身が絵を描くきっかけとなった作品を描いた「ユキ」と出会い、そこから双方の絵の描き方に新しいきっかけが芽生える
という、言ってしまったらそこまで面白みは感じられない漫画。
じゃ実際面白くなかったのか、と言えばそんなことはなくてですね。
例えば春とユキの双方で絵を描く上でのバックグラウンドの違いや現状の差分を対比させているように見えたのが面白かったですかね。
春は完全に趣味で絵を描いていて、ユキは仕事で絵を描いている。
その差。
趣味を仕事にしたら趣味を趣味として楽しめなくなる、ということを体現したかのような漫画ですね。
で、読んでいて不思議な感じがした要素と、これって一体どういうことなんだろうと思った要素を1つずつ。
とにかくこの漫画なんかコマ割りが変、な気がします。
私漫画を描かないので具体的にどう変なのか、というのを説明しにくいのですが、全体的に小さくまとまっているんだけどコマ割りで遊ぼうとしている感があるというか。
例えば4コマ漫画になりますが、「星屑テレパス:とか「スロウスタート」ってコマの枠線を大きく飛び越えています。
枠外を5コマ目に使っているとも言えるくらいです。
そういう枠線を越えた描写が一切なく、でもコマの配置で話の描き方を工夫している感も感じてとれる、という教科書通りの漫画が描きたいのかそうでないのかがいまいちピンときません。
その教科書を私はよく知らないわけですが。
この辺が先に挙げた不思議な感じの要素かと。
遊びがあるようで遊びがない、そんな感じ。
次にこれってどういうことなんだろう、という点。
作中の時系列を簡単にまとめると、
1日目:春がユキと出会う
2日目:ユキと親睦を深める(?)
といった感じ。
1日目に春はユキのことをユキ先生と呼んでいます。
次いで2日目にユキは春に対し、先生をつけて呼ぶのを止めて、と制します。
制するのですが。
2日目にユキと出会ってから春は一度もユキ先生と呼んでいません。
初日に1回だけ。
じゃ2日目に会って早々に注意したのか、といったらそんなことも全然ありません。
終盤の方に制しています。
1日目にユキ先生と呼ばれ、2日目にそれを訂正するってどういう思考をしていればこうなるんですかね。
多分大本のストーリーではちゃんとユキ先生と呼ぶ描写はあって、その辺の件を後々描きなおしたか、編集に添削されて消すよう勧められたとか、とにかく後からストーリーを手直しした結果かな、とか思ってみたり、1日目にユキ先生と呼ばれる会話を想起させるような会話が、制する前にあったのかな、とかも思ってみましたが多分ただのガバ。
前者の場合だったらよく分かりませんけど、後者の場合だったら過去のシーンの絵なりセリフなりを挿入しないと理解できませんし。
そういう点も含めて不思議な漫画でした。
まとめ
ゲスト作にもう1本、明らかに純愛物っぽい漫画がありましたが、自分純愛に興味ないので最初の3ページくらいまで読んでスパッと飛ばしました。
内容の展開的に、
3人組の女子高生が全員同じ男子高校生に片思いしている。
しかし当の男子は一身上の都合により恋愛自体に興味がない。
でもと気が来たら恋愛ができる。
その時に備えて3人で恋愛シミュレーションを行い、その過程で3人がそれぞれトライアングルを描くかのように片思いを募らせていく
みたいな漫画だったら面白いかもしれませんね。
読んでないから知らんけど。