きらら探求軍〜細々と息をするオタクの足跡〜

主にまんがタイムきららコミック、ウマ娘に関することをぼそっと書いています。ちょこちょこyoutubeにも投稿していたり。

【きらら8月号】見事に右肩下がりな感じだったゲスト作でした【黒百合クロニクル】

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21年6~8月号『まんがタイムきらら

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最近APEXでランクマッチハゲ活動に勤しんでいる私です。

いつになったらハゲあがらずに済むのでしょうか。

というのが近況報告です。

 

黒百合クロニクル

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3話という短い話数でテンポ重視で話を勧めようと思ったら必然的にインパクトが強くなっていくモンなんです。

この漫画の第1話なんてまさにその通りでした。

21年8月号に3話目が掲載され、おそらくその後はないであろうこの漫画のあらすじを簡潔にご紹介します。

この記事を書く上で必須の情報ですからね。

 

1話目のあらすじ

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放課後、「押坂ヒダカ」と彼女に呼び出された「宇野さらら」の前に突如黒百合の花が咲く。クロユリはヒダカの記憶を奪って彼女を廃人状態に。続いてさららを襲おうとした黒百合をこれまた突如現れた「初瀬イザサ」が放棄でもって薙ぎ払い、クロユリを撤退させる。さららがイザサからこれまでに起こった出来事を聞いている間に「ユリ神」がヒダカに憑依。ユリ神はさららとヒダカの歪んだ関係性を見込んでか、さららにクロユリに対抗する力を授ける。クロユリに対抗する力とサドっ気に目覚めたさららはイザサとユリ神に協力を仰ぎながらヒダガの記憶を取り戻すことを決意する。

 

2話目あらすじ

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文字通り人格の変わったヒダカに対する風評被害をなんとかするべく、早急にヒダカを襲ったクロユリを捜索・退治するべく露骨に露骨な怪奇店「ネコネコパラダイス」(多分)オーナー「美牧いにえ」に会いに行く。そこで目標のクロユリが自分たちが通っている学校を住処にしていること、そして成長したクロユリを倒すためにはさららとイザサが仲良くなるほどに威力を増す合体技を使わなければならないことを知る。

 

3話目あらすじ

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合体技を習得すべくイチャイチャに勤しむ2人の前に、かのクロユリが現れる。養分を十分に得た黒百合の攻撃力は凄く上がっていた。いにえとユリ神の助太刀をかりながら合体技を繰り出したヒダカとイザサはクロユリを撃破。しかしヒダカの記憶は部分的にしか取り戻せなかった。強力なクロユリは分裂することを知ったさららは地上のクロユリを根絶やしにすることで事態の収縮を図ろうとするのだった。

 

 

話数を重ねるごとにあらすじがあっさり化しているように思いませんか?

実際に読むとこのあっさり感はより強くなります。

あっさり感が強くなるというのは話がつまらないということではないのです。

話に具体性が増してくると必然的にあらすじも読後の感想もあっさりになっていくのです。

話が具体的になるというのはつまり要点がまとまっているということでもあります。

話の要点がまとまり具体性が増してくる。

これは人に読んでもらう漫画としてみれば普通に良いことで悪い要素は私の想像の限りだと思いつきませんが、あえて悪いように書くと、具体性が増すということはつまりスローテンポになるということでもあります。

例えばワンピース。

今や1人のキャラクターの過去編を描くのに単行本1冊を費やすことも珍しくないこの漫画も最初からキャラの過去編をそこまで深く描いていたのかと言えばもちろんそんなことはありません。

1人目の仲間であるゾロの回想は第5話の中の数ページに収まっています。

やっぱりジャンプという入れ替わりの激しい雑誌で長期連載をしようと思ったらテンポよく話を進めていく必要がどうしても出てくるということなのでしょう。

そのワンピースも今年には単行本100巻が出るというのだから大したモンです。

 

さて、冒頭にも書きましたが、短い話数でテンポよく話を勧めていれば必然的にインパクトは強くなります。

もちろん大枠での一貫性は必要不可欠ですが、それを踏まえた上で内容に具体性をもたせない=内容を二転三転させることで読み飽きないというか、ページを跨いでも読みごたえに新鮮さが衰えないというか。

実際3話目の合体技の件読んでて途中でダレましたから、私。

具体性のある漫画を描いて良いのはそれこそワンピースのように地盤の固い長期連載の場を設けられた作者に限った話で、間違っても少ない話数でやっていいような事ではないと思います。

というか初めて思いました、この漫画を読んで。

それならこの漫画はどう話を進めていくべきだったのか、ということを考えたくなってくるのが私なのです。

否定するだけならバカでもできますから、もう意味は無いですけれど草案というか、一読者としてこうだったら良かったんじゃないの? という感想が少なからずあるわけでして。

読んでて思ったのが不必要な情報を散りばめすぎじゃね? ということ。

例えばイザサの過去になにかがあったであろうことは2話から部分的に出てきています。

 

この情報いる?

伏線を張るのも地盤を固められた作品に与えられた特権なのです。

次いでクロユリについて。

1話で出てきたヒダカを襲ったクロユリもより強力になって3話で出てきています。

強力になっているということは他にもそのクロユリの被害に遭った女子高生がいることは明白なわけですよね?

そっちはノータッチなんだぁとか思いました。

そして結局クロユリの正体についてもノーコメント。

具体的に話を深掘りせずともテンポよく話を進めることを念頭に置いておけば決して書き損じることのない要素がちらほら作中に出てきていたというのっはもったいないことなんじゃないのかなぁと思うのです。

 

私にその気はないのですがなんか批判的な事ばかり書いているような気がするので最後にこの漫画の凄かったところもご紹介して終わりにしましょう。

私は百合という女性同士の恋愛を大きく3つのステージに区分して捉えています。
1mrnoname.hatenablog.jp

具体的な話は面倒くさいので上記の記事を参照頂きたいのですが、きららは私の中では近代的百合という位置づけになっています。

そんなきららで、「アネモネは熱を帯びる」とも「観音寺睡蓮の苦悩」とも違う、双方に若干の狂気を帯びた好意を持ちあう女子高生を4コマ漫画という、そもそもの構成上演出に制限を設けられたフィールドで描こうと思ったこと、そして実際にそれをシンプルに描いたことってのは今後のきららでの近代的百合にかなり大きな影響を与えそうだなぁと。

えぇ、過大評価も甚だしいですが、そう思わせるインパクトが少なくとも1話にはあったのです。

とてつもない期待感も一緒にね。

そのインパクトと期待感は話数を重ねるごとに薄まっていきまして・・・。

タイトルにある通り、私としては右肩下がりというワードがよく似合う漫画になってしまったなぁというのが最終的な感想です。

 

それでは最後の最後に本当にくだらないことを1つ。

この1コマを見て思った事なのですが。

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もし私に女子高生のスカートをめくる機会があったとして、の時は多分下着よりも太もも見たさにめくるんじゃないのかな?

どちらかと言えば女子中学生の方が、ってこれはあれですか、自首した方が良いヤツですか。